秋月種樹(あきずきたねたつ)
【紙本墨書 四面】
【明治14年(1881年)】

秋月種樹(あきづきたねたつ)は1833年天保4年生まれ、将軍徳川家茂や明治天皇の侍読(じとう/現代でいうところの家庭教師のような存在)を務めた九州高鍋藩大名家の幕末最後の世嗣である。学問界の三公子と称された。
また、明治になると元老院議官や勅選貴族院議員を務めた。
健次郎の義理の娘・つるの実家である船戸(ふなと)家を、種樹が訪れた際に書かれたものである。
煙の字のカスレ具合から当時の畳の上で書かれたであろう事が推測される。
後につるが嫁入りする際に持参し、日比谷家では「鶴の間」という部屋の襖に用いられていた。
襖の裏側にも市河徳庵の書画が使われている。(図の金箔加飾は現代に貼りなおしたものである。)
自然の風景が現れ、雨雲が立ちさまよう、という意味の自作漢詩であろうか。
墨量や緩急に変化があり、躍動的な書風が感じられる。
右肩上がりの字は強くなりがちだが、線に丸みを生む穂先を見せない蔵峰(ぞうほう)技法や、穂先が線の中心を通る中峰(ちゅうほう)技法が使われ、折れや跳ねでは大回りに書かれ、粘りや柔らかさを持たせている。
剛柔が融合された書と言えるであろう。
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