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※郷士とは在郷の武士のこと。

日比谷 健次郎

 

幕末 足立の郷士

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日比谷 健次郎 ひびや けんじろう

 

天保7年(1836年)~ 明治19年1月15日(1886年)

幕末から明治初期にかけて活躍した、足立の郷士

「日比谷健次郎」の足跡、史料、美術品をご紹介します。

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​健次郎公式HP開設によせて

 「えっ、ここに?」 足立区中央本町、環七通りの梅島陸橋近くの日比谷家をお訪ねする機会をいただき豊富な歴史や資料があることを知り驚きました。平成27年(2015)の夏、私が毎日のように通勤で通る道沿いでした。

 幕末明治期の当主、日比谷健次郎は日本初の和独辞書の発行者です。「彼は日本史上の人物なんだ」と知り興味が膨らみました。日比谷家の皆さんも資料を確認したばかり。研究者の皆さん、私や博物館も、健次郎や同家の古文書や典籍、それに美術工芸品の数々を目の前にして謎解きに取り組むことになりました。関連人物も幕末に活躍した勝海舟、ドイツ人教育者ルドルフ・レーマン、狩野派の絵師たちと多岐にわたります。

 

 日比谷健次郎プロジェクトとは、健次郎個人の顕彰ではなく、日比谷家の遺産という「窓」を通じて、歴史、外国との交流、美術等を考え愉しむ「場」となることを願ってスタートします。(令和4年4月15日記)

監修支援 足立区立郷土博物館 学芸員 多田文夫

日比谷健次郎は文字通りの「文武両道」の人です。「文」の面では明治初期に『和独対訳字林』という、当時としては珍しい、解説付きの本格的な和独辞書を発行し、「武」の面では北辰一刀流の免許を皆伝されています。

幕末から維新の時期にこのような人物がいたこと自体、すばらしいことですが、それらに関わる史料が現在に至るまで残されてきたこともまたすばらしいことです。

 

このような人物がいたことを多くの人に知ってもらいたいですし、貴重な史料群を後世にまで大切に保存していくことは、現代に生きる私たちの責務だと思います。

慶應義塾大学文学部 教授 井奥成彦

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日比谷家は、江戸時代以来の古文書や、その他の豊かな文化財を、今に伝えております。そこには、地域のリーダーとして激動の歴史を歩まれてきた足跡が、刻まれております。

この度、日比谷家のホームページが開設されましたことを、大変嬉しく思います。

慶應義塾大学文学部 准教授 上野 大輔

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日比谷家史料は,江戸時代から戦後にかけての日本社会の縮図であり,当時の人々の”想い”を今に伝える貴重な資料群です。

 

そこに描かれているものは,日比谷健次郎をはじめとした幕末維新期の草莽の志士の生きざまのみならず,江戸時代を通じて成熟した近在地域の社会や文化の在り様そのものだと思います。

拓殖大学商学部経営学科 准教授 三科仁伸

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日比谷健次郎の学んだ【北辰一刀流】は、武士の時代の最後に千葉周作が創始し、剣術最高ブランドとして有名になり、現代剣道を生み出しました。


千葉周作は、強さも抜群でしたが、非常に頭が良く、剣術の指導法を革新したので、北辰一刀流では、誰でも簡単に上達することができました。
それゆえ、北辰一刀流の門人総数は1万人を越え、全国に門弟道場があり、30余藩が北辰一刀流を学んだので、剣術史上最大の流派といわれました。
周作の弟子の中でも日比谷健次郎は、この北辰一刀流に16歳で入門、20歳で免許皆伝を得ました。
天才海保帆平が19歳皆伝ですから、それに次ぐ快挙であります。


そして、日比谷健次郎は武蔵国足立の地で北辰一刀流の道場を開き多くの門弟を指導し、また幕府の御用として様々な難儀を解決しながら明治を迎えました。

 

北辰一刀流 第七代宗家 椎市衛成胤

椎名先生HP

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足立区の旧家・日比谷家には、代々受け継がれてきた文書類や美術工芸品、生活用具などが今なお多数伝わっています。

そのなかの「古今雛一式」は、江戸時代末期の安政7年(1860)、日比谷健次郎が長女のしんの初節句のために新調した豪華な雛飾りであり、江戸の高度な節句文化と工芸美を伝える貴重な資料であることから、現在は東京国立博物館に寄託され、折々に展示公開されています。

歴史的・文化的な観点から、伝来の品々の保存と活用の意義を理解され、その公開を惜しまない現在の日比谷家の皆様の英断に敬意を表するとともに、それらの調査により、今後もさまざまな学問分野の研究が一層深まることを期待しております。

日本人形文化研究所 所長  林 直輝

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秋月種樹 書「煙霞 出没 雲雨 迷離」 明治14年(1881年)

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